選手列伝
第2回選手列伝 庄子亜久理
2017/01/25
今春、前原映子とのライバル対決をはじめて制し、全日本選手権初優勝を果たした庄子亜久理。
少年部出身の選手だけに、女子クラスにおいても、世代交代が進みつつあることを感じさせる戴冠だった。
このまま一気に世界を獲るまでに飛躍するか?
しかし一方で、来年以降、これまでU19のカテゴリーで闘ってきた女子選手たちが続々と一般部にエントリーしてくるものと思われるだけに、彼女自身、安心してはいられまい。
そのあたりの話を、と思っていたのだが、意外な事実が明らかに・・・。
世界選手権代表合宿のさなか、大道塾総本部の談話室にて取材
――空道を始めたのは何歳のときですか?
庄子押忍。5歳のとき、お父さんに泣き虫を治すために仙台西支部に連れて行かれて。父がもともと柔道と極真空手をやっていまして。
――おぉ! 宮城で極真! ということは、東塾長門下生だったと?
庄子・・・それは、聞いたことがないので分からないです。でも、白帯で辞めちゃったみたいです(笑)。
――・・・あぁ、そうですか・・・(やや拍子抜け)。・・・では、稽古の最初の印象は?
庄子楽しかったです。行った初日に稽古体験みたいなものに参加したんですけど、3歳くらいからピアノをやっていて、初めてのスポーツが空道だったので。長田(賢一)先生がニコニコしていて優しい印象でした。体を動かすことがとにかく楽しかったです。
――長田師範が優しかった!?
庄子優しかったです。優しかった・・・んですけど、小学校高学年のときに全日本出場が決まったときは、鬼のようでした。凄く厳しくて。例えば基本稽古で、一本の突きがダメだと永遠と繰り返しで、生徒の中の一人でも出来なければ、その日の稽古はその一本の突きだけだったり。
――ジュニア時代の戦績は?
庄子中学2年のときに全日本大会で優勝しました。
――それは中学2年生だけのクラス?
庄子中1から中3までの女の子が出場するクラスです。優勝はそれだけです。中3からは受験勉強に集中するため、空道の稽古はストップして、高校の間は柔道に専念していました。中・高と、大学2年までは部活で柔道部に在籍していたので。
――大学2年? 4年までは続けなかった?
庄子大学2年で柔道を辞めて、ちょっと太っちゃって、それで、最初はダイエットのつもりで空道に復帰して、3年生のときに大学も辞めて、建設業界に入ったんです。
――・・・。ちょっと待ってくださいよ。話を整理しましょう。まず、なぜ、柔道部を辞めてしまったんですか?
庄子そもそも柔道は全然強くなかったんです。東北学院大の柔道部には「1年だけでいいからやってくれ! そうしないと団体戦出れないから」って先輩に連れて行かれただけで、本当は高校までで終わりにしたかったんです(女子柔道の団体戦は1チーム3人制)。
――では、大学を退学したのはなぜ?
庄子オヤジ・・・お父さんが建設業をやってて、夏休みに「ついてこい」って言われて、バイトさせてもらってたんですけど、そのときに震災のところとか回ったりして「あぁ、これはもう、勉強してる場合じゃない」って。大学に行っていてもやりたいことがみつからなかったんで。夏休み明けの9月には退学届けを出しました。
――震災があった3・11は、何年生のときで?
庄子大学1年と2年の変わり目でした。
――なるほど・・・。庄子選手もあの3・11で大きく人生が変わった一人だったんですね・・・。仕事はどういった内容のことを?
庄子タイルと左官です。塗り壁を塗ったりとか。
――お父さんが師匠?
庄子そうですね。父が社長なので。
――直接指導を受けて?
庄子社長からは直接指導は受けず、職人の先輩のところを転々と回って、今は弟子としてやってます。
――女性は珍しいんじゃないですか?
庄子そう言われます。
――力はそれほど使わない作業ですか?
庄子そうですね。タイルの方ではセメントを運んだりとかしますけど。
――だったら、やっぱり女性だと厳しいんじゃないですか?
庄子周りの人に「スポーツやってるから出来てるけど、普通の女の人じゃ、最初は出来ないだろう」とは言われます。
――足場に乗っての高所作業なんかもあります?
庄子基本、住宅関係なので、高くても屋根の上くらいです。
仕事中の凛々しい姿
――震災から3年半近く経ちますが、まだまだ仕事は大変な量が?
庄子いっぱいありますね、押忍。家を新築するのに、震災でやられたところにもう一度建てる方もいれば、「もう海はみたくない」って言って、丘の方に建てる方も。いろいろなケースがあります。
――現在は多賀城支部所属となっていますが、なぜ移籍を?
庄子沿岸での仕事が多いからです(仙台西支部は内陸にあり多賀城支部は沿岸地域にある)。移籍しましたが、それでも行けるときで週3回くらいです。一般部男子に混じって稽古させていただいています。
――ところで、お父さんは震災前に
庄子選手を仕事の現場に連れて行ったことはあったんですか?
庄子全然、行ったことなかったです。
――なぜ、震災後になって、現場をみせたんでしょうね?
庄子たぶん、継いで欲しかったんじゃないかなぁとは、今になって思います。みてすぐに「あぁ、これは、こういう仕事をやるべきなんだろうな」って思いましたから。それだけインパクトが強すぎて。「ああ、これだ!」って思って。
―― 親子の思いがひとつになったんですね。・・・ところで、世界選手権代表選手のフィジカルデータをみると、1500m走のタイムが4分55秒ですね。これ、陸上競技の経験がない女性としては、驚異的な数字かと思います。
庄子妹が中・高陸上部で8種競技をやっていて、その練習に混ざったりとか、休みの日に二人で走ったりとかしていたんで。
――8種競技の練習に混ざっていたことが、持久力からパワーまで全面的に活かされた組手を生み出しているわけですね(ちなみに、データをみると、体力指数206.5にしてフリーウェイトでのハーフスクワットの拳上重量が100㎏)。ところで、きょうだいは妹さんだけですか?
庄子はい、妹だけですね。
――じゃあ家業を継ぐとしたら・・・。
庄子私ですね(笑)。
――技術的にどんな“空道”を目指していますか?
庄子やっぱり一番目標としているのは、長田先生です。試合のときはいつも長田先生の右ストレートをイメージしながら出ています。正直、勝ち負けは重視してなくて、勝てれば勝ちたいんですけど、自分の組手が試合で気持ち良く出せるようにしたいです。
――おぉ! 柔道の経験があって組技にも長けているうえに長田師範の打撃の破壊力を併せ持てば、オールマイティーですね!
庄子でも、寝技が嫌いだったんで、まだ苦手なんですけど(苦笑)。
――最後に世界選手権での目標を。
庄子日本人らしくキレイな組手をして、力でなく技で表彰台に上がりたいです。