選手列伝

第11回選手列伝 伊東宗志 

2023/05/01

左右へのフットワークから打ち込む重い右ストレート、左ボディアッパーを武器に、2022年全日本-240クラスを制し、第6回(2023)世界選手権日本代表となった男。
幼年期から空道の道に入りながら、ジュニア競技出身者特有のハイキックはあまり使わず、まるで80年代の北斗旗選手のような殴り合いを好む。
いかにして、そのスタイルは育まれたのか?

(2023年・全日本空道連盟広報部取材)

――空道を始められたのはいつですか?

伊東5歳くらいだと思います。2歳上の兄がいて(二人兄弟)、兄が先に空道をはじめていて、兄弟げんかで兄に空道の技でやられて、それで自分も負けてられないな、と思ってはじめました。

――じゃあ、自分から志願してはじめた?

伊東 はい。

――その頃から、今に至るまでずっと日進市に。

伊東はい。親と一緒に住んでいます。

――5歳のときから、ずっと空道を続けているのですね。

伊東はい。保育園の頃、日進支部(愛知県日進市の大道塾日進支部)幼年部に入ってら、ずっと日進支部所属です。

――ご両親は、空手のような武道といったイメージで道場を選んだのでしょうか?

伊東 はい。入門したのは2002年ごろですので、もう名称は「空道」だったはずですが、親は、そこまで認識していなかったと思います。

――その後、空道と並行して学校での部活などは?

伊東中学は水泳部でした。それで、中学時代はスイミングクラブにも通っていました。

――水泳に取り組んだ結果、空道に活きてることってありますか?

伊東どうなんでしょう? でも、クロールの肩の入れ方とかは、パンチに通じるところがあるとは思います。

――スイマーは肩甲骨を柔らかく動かすことに長けてますよね。

伊東凄いですよね。ぐにゃぐにゃです。

――それ以外に、他のスポーツ・格闘技歴は?

伊東ちょっとだけ高校の部活で日本拳法をやりました。あとは、体育の授業で柔道があったくらいです。

――高校卒業後は?

伊東大学(愛知学院大法学部)に行って、 大学でも日本拳法部には入ってました。

――高・大の部活であれば、二つの競技を掛け持ちで行うのは難しかったのでは?

伊東コーチとかが空道を理解してくれて、両立できました。ただ、日本拳法でも試合には出ましたけど、成績は振るいませんでした

――日本拳法の技術は自分の今のスタイルに活きている?

伊東自分はその感じはないです。神山先生(日進支部・神山信彦支部長)の教え通りにやっている感じです。

――キックボクシングや柔術などは?

伊東講習会でちょこっと教わった程度です。

――では、ほぼほぼ、日進支部の稽古だけで、現在の伊東選手が作り上げられているわけですね。

伊東押忍。自分はずっと神山先生のもとで育って そのスタイルが好きなんで。

――どういうスタイルなのですか?

伊東基本的に、打撃……特にパンチが主軸で、パンチのタイミングや打ち方が好きです。

――神山理論がある?

伊東あります。先生は「角度とタイミングでパンチは打て」と仰っていて。

――もっと具体的に言うと?

伊東いや、これ、けっこう、説明するのは難しいんですよ。相手の構えに被せるようにフック気味のストレート……ストレートともいえない角度の、どんなときでも出せるパンチを創るとか。

――角度とかを細かく指導?

伊東押忍。

――そういえば、試合をみていると、まっすぐでなく、斜め前方へステップして攻めることがよくありますよね?

伊東それも、角度のひとつですね。45度くらいの相手からみにくいところへ回り込む稽古をしています。

――それが日進のスタイル?

伊東そうですね。

――伊東選手の試合中、場内から「回り込んで!」というような女性の声が聞こえてきたことがあります。あれは神山歩未(神山信彦支部長の娘=三姉妹の長女で、2010年に全日本女子春・秋スラムを達成)さん?

伊東歩未先輩ですね。

――お姉さんみたいな感じ?

伊東いや、お姉さんというよりお母さんみたいな感じです。お世話になってます。

――お、お母さん……お姉さんでよいのでは?

伊東いや、歩未先輩は一回り上なんですけど、自分で僕らの世代のことを「自分の子どもたちみたいなもの」と仰ってるんで。

――母のように優しく、入門した5歳の頃から?

伊東入門した頃のことは自分が小さすぎてあんまり記憶がないんですけど、優しいですよ。よくしていただいています。日進支部は武道の先輩後輩というより、ファミリーのようなアットホームな雰囲気なんです。

――ところで、両手を開いて、前方へ突き出して、ユラユラさせるような構えをしていることが以前の全日本選手権の試合でありましたけど、あれも日進スタイル?

伊東あの手を振り回すやつですか。あれはもともと、神山先生が太気拳をされていて、立禅や推手を「この動きがいいから」と教えていただいて、自分も取り組んでいて。2019年の体力別全日本の際は、鈴木渓選手に先に効果を取られてこのままじゃ負けると思って、暴れてやるしかないな、と。

――それでポイントを取り返して逆転勝利を収めたわけですね。

伊東教えていただいた通りのことを初めて試合で出したつもりだったんですけど、神山先生には 「俺はあんなのは教えてない」と言われて(苦笑)。……たぶん肩の動きとかは教えていただいた通りなんですけど、もっと(ユラユラさせるだけでなく)打撃に代える必要があったんだと思います。

――それにしても、パンチが硬そうですよね。

伊東ホントですか。拳立て(伏せ)を小さい頃からずっとやっていて、それで硬いのかな…。あとは「どうやったら、力を入れずに構造を活かして打てるか」ということを考えてきたからかもしれません。

2022年全日本体力別大会-240クラス決勝、遠藤春翔の顎を重い右ストレートで撃ち抜く。

――ジュニアクラスのルールは顔面パンチ禁止・蹴りは上段OKで、子どもは身体が柔軟だから、そのルールで闘っていると必然的に上段への蹴りが磨かれ、“ジュニアあがり”の選手は上段蹴りを主武器とするケースが多いですが……

伊東蹴りはあんまり蹴らないですね。不器用なんです。蹴りが巧くない。あと、中学の頃から、YouTubeとかで昔の大道塾の動画をみていて、ドシッと腰を落としてパンチで倒すスタイルに憧れを持ったんです。昔の倒し倒されの大道塾のスタイルが好きで、長田(賢一)塾長の動画、加藤清尚先輩の動画見て「あぁ、スゲェな」と。憧れがやっぱりありますね。だから、勝つための稽古でなく、倒すための稽古がしたいんです。神山先生も「試合で勝つことが武道じゃない。いかに倒すかが武道だ」とおっしゃるので。

――技が多様化し、そのぶん軽くなっている時代にあって、シンプルだけど強い技を持っていらっしゃる。

伊東地味ッスよね。

――世界チャンピオン(第1回大会-230クラス優勝)の小川英樹師範は「試合は演技力」というインパクトある表現をされていました。「なるほど、確かにほとんどの試合はダウンなどが生じず、審判がどう評価するかによって勝敗が決まるのだから、空道も、いかに審判にアピールするかが大事で、それはフュギュアスケートや体操競技と同様の『表現スポーツ』 ってことだよな」なんて納得したのですが、それとはまったくベクトルが逆なんですね。

伊東どっちも正しいと思うんです。スポーツとして捉えるうえで、その方向の考え方は凄く大事だと。それも間違いなく大事なんですけど、自分の武道は他の方向なのかな、と。そっちが自分は好きだな、と。

――でも、そのスタイルだと、ジュニアクラスのルールではなかなか成績に結び付かないのでは?

伊東上段が蹴れなかったので、下段蹴りと腹(へのパンチ)で闘ってましたけど、勝てなかったですね。

――すぐには結果の出ないスタイルだけど、表面的じゃない奥にある部分を磨いたから、今こうして、立場を手に入れられた……ということでしょうか。

伊東押忍。かなぁとは思います。

――大学卒業後はどういう進路を?

伊東ケガをしてめちゃくちゃ燻ってて、就職せずに空道に打ち込もうと、バイトをしていました。

――このまま実績を残せずに終わったら何なんだ? というような不安は?

伊東ありましたね。こないだの全日本(2022全日本体力別-240クラス)で優勝したとき、凄く集中できていて、ここで勝てんかったら一生勝てんだろうな、と。これで勝てんかったら、空道やめよう、と。

――就職しないことに関してご両親は?

伊東めちゃくちゃ心配されましたね。でも「悔いのないように、あんたが好きなように生きればいいよ」と言ってくれて。

――大学を卒業してから何年目で全日本優勝を?

伊東4年目ですかね。

――幼年期からはじめて、勝てない時期が続いたら、やめたくなりませんでした?

伊東自分は悔しい思いしかしてなかったので、優勝することが目標で 「勝てなきゃダメだ!」という思いが本当に強かったんです。自分の同期に義人……川下義人がいたんですけど、同じ日進支部で、階級も同じでずっとやりあっていて、いい感じにはやるんですけど、やっぱり義人の方が上手で、義人はジュニア時代からチャンピオンで、自分は全然、芽が出なくて、自分ではそうは思いたくないけど、差はありましたね。

――じゃあ、地区の大会の決勝でいつも負けているような?

伊東そんな感じでしたね。

――勝ったりもしている?

伊東1回勝ったくらいですね。3~4回やって、3回くらい負けて。

――そういう時は嫌になる?

伊東めちゃくちゃなりましたね。何やってんだろう? って。悔しい思いはしました。一般に上がっても、義人はすぐに活躍して。嫉妬というか。なんであいつは活躍してるのに、オレはこんなんなんだろうって。

――で、そんな川下選手は18歳で、ジュニアクラス出身者らしいハイキックを駆使した攻めで全日本王者になり(2015年全日本-240クラス)、翌2016年も240クラスで全日本準優勝、無差別で全日本ベスト4という実績を残したにもかかわらず、2017年は奮わず、2018年の全日本-240クラスに出場したのを最後に引退したのですよね。

伊東たぶん燃え尽き症候群みたいな感じだと思います。

――前回の世界選手権が目の前に迫った時期に引退してしまうなんて、就職の関係とかもあったんでしょうか?

伊東まぁ、それもあるけど、単純に熱が冷めたんだと思います。

――昨年2022年の全日本-240クラスの決勝では伊東選手が当時20歳の遠藤春翔選手(大道塾総本部)を下して優勝し、その半年後のアジア選手権の決勝では、遠藤選手が伊東選手を下して優勝。今回の世界選手権を半年後に控えた時期であるにもかかわらず遠藤選手は引退を表明しました。遠藤選手も5歳から空道の道に入った選手で、精神的な疲労がその理由だったんですよね。ジュニア時代から全日本優勝を重ねて、一般クラスに昇格するやそこでも優勝して、20歳そこそこで競技から退くライバルたちを、伊東選手はどう見ていましたか?

伊東あぁ。自分からすると「いや、もったいないなぁ、せっかく強いのに……」とは思います。でも、センスがあるとすぐ上に行けちゃうから、すぐ上に行く人って、すぐ飽きちゃうんだろうな、と。自分はずっと燻ってたんで、上に上がったときの喜びがそれだけ大きく、楽しさがわかっている。……でもやっぱり「もったいないなぁ」とは思いますね。

――川下選手も遠藤選手が高校を出てすぐに到達した一般クラスの全日本王者に、伊東選手は8年掛かって辿り着いたわけですもんね。

伊東いや、自分の中では、8年ではなく、幼年部、少年部の頃から、道場の中でも一番弱くて、小学6年になってはじめて試合で1回勝ったくらいで、それまで1度も勝ったことがなかったので、そこから……ですね。

――その苦しい道を歩んでいる間に、同じ道場で同い年の川下選手はサクッと全日本を制して引退していった……

伊東めちゃくちゃ辛かったですね、その時期は。「自分の持っていないものを持っているのに辞めやがって……」とは凄い感じてました。その分、優勝しなきゃ、という気持ちは強くなりました。

――今、なかなか勝てないキッズたちには励みになるお話です。その後、川下選手とは連絡は?

伊東取ってないですね。消防士になって、楽しく過ごしているんじゃないかと思います。

――さて、世界選手権ですが、個人でなく、チーム……日本の勝利が目指すもののひとつであるということを考えると、倒すより勝利が優先というジレンマもありますか?

伊東スポーツとしてポイントを取るっていうのも大事だと思うんですけど、やっぱり倒すスタイルにはこだわりたいですね。

――海外勢のパワーに対し、テクニックで受け流すのでなく、真っ向勝負で挑みたい?

伊東押忍。去年の10月にパンナム大会に出て、決勝の相手のブラジル人がMMAのプロ選手で、めちゃくちゃ強かったですね。パンチのブン回しとか、日本人は器用に打つけど、これ当たったらやばいな、と。ホントにいい経験になりました。そういう連中と打ち合いをするしかないな、と思っています。

――ジョージアの選手とか、びっくりするくらい力が強いと、拳を交えた日本代表は言ってましたけど、そんななかでも……

伊東押忍、優勝するつもりです。優勝しか狙っていません。

――今も実家暮らしでフリーター生活を続けている?

伊東押忍。マッサージ……もみほぐしの仕事です。

――一日に何人、何時間くらい施術するのですか?

伊東多くて8人くらいですかね? 1時間くらいずつ。

――8時間も力仕事をして、その後、日々、稽古を?

伊東週5日は日進支部で稽古して、あとは 名古屋の方とか、出稽古に行かしていただいたりとか。マッサージは体重移動を使うから、そんなには疲れないです。あとは、まぁ、気合ッスね。

――ご結婚は?

伊東全然、してないですね。

――趣味は?

伊東趣味? 何もないですね。強いていえば、武道の本を読むとか。

――どんな本を?

伊東意拳(日本の太気拳の源流にある中国武術)の本とか。

――日常から立禅などに取り組んでいる?

伊東あぁ、やってますね 站椿とか。

――試合のとき、観ていて、拳に気というか、情念のようなものが乗っかっているように感じられるのは、その成果なんでしょうね。世界選手権後の計画は?

伊東今は世界選手権のことしか考えられなくて、その後のことは、考えていないです。

――世界選手権まで辿り着けると信じていた?

伊東いやぁ、信じてたっていうよりかは、やるしかない、という気持ちしかなかったですね。

――なぜ、やるしかない、と?

伊東なんでなんでしょう……。根底に自分の弱さに対して、強くなりたいっていう欲求が、……自分の弱さに対して、それを克服して何かでトップになりたいという思いが、強いんだと思います。

――現実に全日本でトップになり、今、世界のトップを獲らんとしている……このことに喜びを感じる?

伊東どうなんでしょう? 喜びはもちろんあるんですけど、ずっと燻ってきて、いろいろやってきたから、なってもいいだろう、それだけのことはやってきたという自負はあります。

――5歳から20年掛けて熟成した技をもって、世界に打ち合いを挑むわけですね。……ところで、ここまで続く道を歩むきっかけとなったお兄さまはその後、どうされたのですか?

伊東中学まで続けて辞めましたね。今は普通に家庭を持って、まったく空道とは離れて暮らしていて、「スゲェじゃん」って言ってくれます(笑)。

世界選手権日本代表強化練習練習の合間に、インタビューに応じてもらった。試合中の漲る殺気とは真逆の温かな物腰にギャップ萌えを感じさせる