選手列伝

第13回選手列伝 谷井翔太

2023/05/04

右利きサウスポーで、前傾姿勢。前拳中心の打撃から突っ込んで組みつき、密着系の組み技でテイクダウン~フィニッシュを狙う。
キックボクシング寄りでも、フルコンタクト空手寄りでも、柔道ベースでもない独特の戦術でアジアを2度制した男。
型にはまらないのは、マット上でのスタイルだけではなかった。

(2023年・全日本空道連盟広報部取材)

――どんな人生を?

谷井生まれは静岡です。父親が自衛官だったので、転勤でいろんなとこへ行って、小3から目黒区に住むようになって、それからは東京に落ち着きました。大学を出て、横須賀の消防に就職してからは、横浜市の横須賀寄りの地域に住んでいます。

――スポーツ歴は?

谷井小学3年から地域のチームで野球をはじめて、中学からは部活で、高校3年までやっていました。

――ポジションは?

谷井身体が大きくないので内野手ですね。セカンドかサードを。

――そこからなぜ、格闘技・武道へ?

谷井高校生の時にK-1MAX(K-1の中量級)を観て、魔裟斗や山本KID郁徳の闘いに「面白いな」と感じて、野球部の仲間と柔道場に忍び込んで格闘技ごっこみたいのをやっていまして。

――高校はどちらに? 高校まで武道・格闘技の経験はなく?

谷井都立の大泉高校というところで、体育の授業で柔道を少しやったくらいで。

――PRIDEなども観ていない?

谷井観てなくてK-1だけですね。とにかく山本KID郁徳が衝撃的で。

――中量級が始まる以前のヘビー級のK-1も観ていない?

谷井観てないですね。

――で、早稲田大学に入ってから、空道を始めるわけですね。受験? 何学部?

谷井受験して商学部に入りました。

――現役で?

谷井はい。

――どういう経緯で空道の道へ?

谷井まぁ、野球サークルとかいろいろみたりしたんですけど、定まらず、トレーニングセンターで筋トレだけはしていて、そこにたまたま大道塾早稲田大学準支部の貼り紙が貼ってあって「ダイドウジュク? ちょっとガチっぽいなぁ」と思って、全然どんなことをしているか知らないまま体験入門に行きました。

――野球はもう続ける気にはならなかった?

谷井お腹いっぱいでした。

――でも、緩い感じでなくガチっぽいことがやりたかった?

谷井やるからには思いっきりできることがよいな、と思っていて。貼り紙がわいわい楽しそうにしてるんじゃなく、試合の写真とか、激しい感じだったので。

――広告ってソフトな内容の方が人が集まりそうだけど、結局、残るのはそういう思いっきりやりたい人だったりするから、ハードな感じを出しちゃうのも案外悪くないのかもしれませんね(苦笑)。実際、やってみてどうでしたか?

谷井やってみて、投げも寝技もあるのが嬉しかったです。こんなことも出来るんだ! と新鮮で。中村知大先輩(のちに2014世界選手権-230クラス優勝)が3年生で、田中洋輔先輩(のちに2016全日本選手権-240クラス優勝)が4年生で、教えて下さる経験の深い方がいたんで、とても楽しかったです。

――まったく武道・格闘技の経験のないまま、大学からのスタートだと、最初は大変だった?

谷井覚えているのは、早大準支部に吉永君っていう同期がいて、大会に出はじめた頃の試合で対戦することになって、吉永君が金的を蹴ってしまって自分が反則勝ちしたんですけど、そのときOBの先輩が「吉永は負けたけど、技術的には勝つと思っていた。谷井はそんなに……」みたいなコメントをされてスイッチが入って、そこから「吉永との立場を逆転してやろう!」と気合が入ったことです。

――谷井選手の闘い方って空道の標準的なフォームじゃないから、最初は評価されなかったのでしょうね。

谷井でも、野球はチームで行うものだし、ボールをバットに当てるにしても感覚的な部分が必要で、それに対して、空道は、やればやるほど自分に還ってくる……それが分かってきてどんどんやる気が出てきたんです。

――谷井選手といえば、軸や距離を保って闘うような予定調和的スタイルからは外れた、遠い間合いからの飛び込みや、密着して足を掛けながらタックルするテイクダウンなど、柔道やムエタイといったバックボーンがないからこその独特な技法で知られていますが、いったいこれらはどこで習得を?

谷井大学時代に太田拓弥(アトランタオリンピック・フリースタイル74キロ級銅メダリスト)先生のレスリングだったり、ボクシングや太極拳の授業を受けている中で、学んだことが多いですね。



2022アジア選抜選手権。遠い間合いから突っ込んで頭突きを喰らわせ、組みつく谷井。独特のスタイルだ

――体育の授業って、初心者向けのことしかやらない気がするんですが、役に立つものですか?

谷井役に立ちましたね。

――大学のチームって、学生自治で行われていて師範がいないですよね。バックボーンもなく、特定の指導者のもとにいたこともなく?

谷井早稲田準支部自体のスタイルはあるので、それをベースにしつつ、自分でも考えて、大学を出てからはいろんな先生に自分で教わりに行って、空道に活かす方法を考えて、あとは試合で相手のスタイルをみて、自分の持っている引き出しのなかで「ここを使えば勝てる」というところを選んで使うという感じですね。

――大学を出てから教わった先生で、特に影響が大きいのは?

谷井寝技に関しては、大学卒業後に総本部所属となった際に中井祐樹(日本ブラジリアン柔術連盟会長)先生、能登谷佳樹(2000全日本-250クラス優勝)先生のクラスで覚えたことが染みついてますね。

――ところで、右利きなのにサウスポー構えなのはなぜですか?

谷井やっぱり山本KID(徳郁)の影響ですね。

――なるほど、それなんだ! ただ、KID選手はレスリング出身だから右足前で構えていたわけで。柔道やレスリング、剣道などでは右利きが右足前で構えるから、それらの経験者は右利きでも慣れ親しんだ右足前(サウスポー)に構えることが多いですが……。

谷井自分は全然関係ないです。初めて練習に行ったときに「どっち構え?」って訊かれて 「どっちなんだろ?」って思ったときに、右足前にして……。

――それでそのまま、今日に至る?

谷井押忍。

――右利きサウスポーだと、体幹の回旋を大きく使わず、前に出している拳を素早く強く当てられるというところが強味?

谷井左ストレートを打つのはカウンターをもらうリスクがあるから怖いけど、右は多用できてしかも強いんですよね。だから右で崩して次の技に繋げる、組み技も右手で崩しが利く……大内刈なども前足にしている利き足で掛けられる、そんなところが良いな、と。

―― それで、年を重ねて全日本でジャンプアップしたのが……

谷井全日本レベルだと、初めて決勝に行ったのが大学5年のとき、2014年ですね(-230クラス決勝で末廣智明に敗退)。で、この年が世界選手権開催年だったので、第4回世界選手権に出場出来て……。

――その後、全日本以上の大会での成績は?

谷井 2014年の世界選手権は-230クラス準々決勝でコリャン・エドガーに負けて、2015年から1年半は就職直後で大会に出場できず、2017年に復帰して全日本体力別-230クラス決勝で目黒(雄太)にハイキックで負けて、秋のアジア選抜選手権-230クラス決勝で目黒に勝って……。

――その後、2018年の第5回世界選手権-230クラス準決勝でウラジミル・ミロシニコフに負けて、2021年の全日本-240クラス決勝は遠藤春翔に勝利し優勝、2022年のアジア選抜選手権-230クラスは決勝で目黒選手を下し優勝……と。世界選手権はいずれもロシア人に負けているんですね。

谷井押忍。

2022アジア選抜選手権-230クラス決勝。右フックによる効果を奪い、再延長まで9分間の闘いを制した谷井(右)

――あと、230クラスで全日本を獲ったことがないんですね。2015年以降、目黒選手が全日本-230クラスを連覇(2022年まで8年間。2020年はコロナ問題で全日本選手権が開催されなかったのでV7)し続けているわけで。でも、実は直接対決では勝ち越している?

谷井地区予選も入れると、自分の4勝2敗ですかね。

――面白いものですね。では、今度の世界選手権の決勝の大舞台で、二人の決着戦を、と。

谷井押忍。ただ、ジョージアとかの選手は、MMAベースでテイクダウン能力が高いので気をつけていきたいですね。

――本来、2022年開催のはずであった世界選手権が、コロナ問題、ロシアのウクライナ侵攻による影響で、1年遅れの開催となったことは辛かった?

谷井大会が延期されたことは何とも思わないです。……ただ、連盟もいろんな調整で大変だったでしょうし、当事者じゃないから何とも言えないですけど、綺麗ごとですけど、スポーツの世界なんで、社会的な事情は抜きにして、リスペクトしあって闘えれば、と思っていました。出場出来ない人たちの想いも表現できるような大会になれば、と考えています。

――ところで、消防署勤務だと、怪我をする可能性のある活動をプライベートで行うことに、規制が掛けられることはないのですか?

谷井最初はあんまり報告していなくて、だんだん「格闘技やってるらしい」「成績とかもけっこう上げてるらしい」といった感じになったんですけど、格闘技をやりたいという人に、ミットを持って指導したりし始めてからだんだん理解してもらえるようになっていました。

――屈強な消防署員の方なら格闘技好きも多そうですもんね。

谷井そうですね。

――だけど逆に、訓練で体力使うから、格闘技の練習の際、集中力が落ちたりはしないのですか?

谷井訓練の身体の使い方と格闘技の練習の身体の使い方は異なるので‟別腹“みたいな感じです。

――じゃあ、訓練で養った体力が格闘技に役立つわけではない?

谷井重いものを背負って走るとかは、基礎体力づくりにはなると思います。ただ、それ以上には、そんなに活きることはないか、と。両方やっていると、結果的には補完しあっていい影響を及ぼしあうとは思います。

――それにしても両方やるのはキツくないですか?

谷井強化訓練期間というのがあって、その期間はさすがにちょっと練習を休もうかな とかは考えますね。

――それでも救助隊の業務と空道の稽古を並行して?

谷井ただ、2022年4月に修斗の試合(プロ修斗・バンタム級・辻村秀綱選手にKO勝利)で拳を折って、救助隊の仕事が出来ない事態になって、そのときに、上司の判断としては「試合に出るなら、災害に立ち会う部隊はちょっと厳しい。デスクワークであれば、試合に出てよい」ということになって、それ以降は日勤のデスクワークをしています。

――消防署員になったからには現場に出たいという気持ちにはならなかった?

谷井最初はやっぱり出たかったですね。でも、だんだんデスクワークの中にも面白味を感じるようになりましたし、やはり身体が疲れないメリットもあります。災害対応だと夜も消防署に泊まって起きていて生活リズムも狂いますし、今は普通の会社員と同じ平日9時~5時の勤務ですので。

――消防署内だと、デスクワークをしている人の立場が弱いとか、そんなことは?

谷井言い方は難しいですけど、その人によると思います。その人が消防署内でどういう立ち振る舞いをしているかによるというか、態度で見え方が変わってくる、と。

――なるほど。MMAに取り組み始めたのは、いつ、どうしてですか?

谷井2017年、就職して2~3年目からですね。空道だと、大きな大会は春・秋の年2回ですが、もっと経験を積みたいと思って、アマチュア修斗の大会に出たのがきっかけです。

――MMAの練習はどこで?

谷井2017年にロデオスタイル(横須賀の総合格闘技ジム)で始めて、やってみたら裸の競技も面白いなと思い始めたのと、プロ選手と接していると、その競技に対する熱感が凄い人ばかりで、その中で自分がどれだけできるのかな、というのは試したくなって。空道は 社会人がやるもので、家庭や仕事を大事にするために、練習や試合に歯止めを掛ける傾向はあると思うんですけど、MMAのプロはやはり格闘技第一なので。

――では、これからも空道とプロ競技と公務員を並行して?

谷井そうですね。今は空道の世界選手権に集中していますが、終わったら、また並行してMMAの試合にも出たいと思っています。

――プロ競技に出ることは、消防署の業務規約などには抵触しないのですか?

谷井届け出をして、契約書を提出して金銭授与が発生していないことなどを確認してもらっています。突き詰めると、逆に金銭授与があっても、届け出をして審査を受けて、それが通れば問題ない場合もあるそうです。ただ、自分は、主催者と話してファイトマネーはなしにしてもらっています。

――なるほど。で、空道、ファイトマネーなしのMMAと、闘いの道を究めながら、家庭も持っているんですよね?

谷井2017年に高校時代の同級生と結婚しました。

――高校時代からずっと?

谷井10日間ぐらい別れてましたけど、それ以外はずっと高1から付き合っています。

――じゃあ、結婚までずいぶん長い期間、お付き合いされていたんですね。

谷井ちょうど10年でプロポーズしました。試合も観に来ています。

――お子さんもいらっしゃる?

谷井3歳の男の子がいます。

――父親のやっていることを理解している?

谷井練習に行く際は「シュッシュ行くの?」とか言ってくれますね。

――では、世界選手権はお子さんの記憶にも残るのでしょうから、ぜひ、最高にカッコいい姿を。

谷井押忍!

強化練習終了後、バスが来るまでお話いただきました