選手列伝

第10回選手列伝 藤田隆 

2023/05/01

日本拳法仕込みの強烈な右ストレートを武器に、2018年全日本-250クラスを制したパワーヒッター。
多彩な技を駆使するタイプではないが、相手のあらゆる攻撃を一撃必殺の右で撃ち落とす様は、まるで居合の抜刀のよう。
2018年世界選手権では、ロシア勢のフィジカルを日本人離れしたハードパンチで打ち砕くか?
その強打の秘密を探る。

(2018年・全日本空道連盟広報部取材)

――空道を始められたのはいつですか?

藤田15年前、18歳で短大に入ったときです。平成15年の8月頃ですね。

――大学ではどんな勉強を?

藤田秋田県立短大農業工学科というところで、土質や測量の関係だったり、そっち方面のやつです。

――生まれてから大学までずっと秋田?

藤田そうです。実家が専業農家なので。

――作物は何を?

藤田主にやっているのはコメで、あとは今やってるかはちょっと分からないですけど、大豆とか小麦とか、そういうのもやってました。

――秋田と言えば「あきたこまち」ですが、ご実家も……

藤田あきたこまちです。

――お父様は今も現場に出られている?

藤田はい。

――手伝いをしたりは?

藤田子どもの頃にやったくらいですね。

――稲を手で刈るんじゃなくて、コンバインで?

藤田手刈りではちょっと…。それでは終わらないです(苦笑)。

――どれくらいの広さなんですか?

藤田田んぼが5ヘクタールくらいです。

――……そりゃ、終わらないですね。失礼しました。将来は家業を継ぐのですか?

藤田いえ。3つ上の兄さんがいるので、そっちが継ぐことになっているので。

――なるほど。では、空道の方に話を戻します。入門時のことからお話頂けますか?

藤田8月くらいに秋田の同好会を見学して、9月に体験入門に行って、ちょくちょく顔を出させて頂いて、正式に入門したのは11月くらいだったと思います。

――それまでのスポーツ歴は?

藤田小学校では野球、中学では卓球部、高校では運動部には入らず、測量部に入っていました。

――測量部というのは珍しいですね。

藤田道路でよくやっている高低差を測る正準測量とか、平板測量とか…

――平板測量とは?

藤田板の上に紙を置いて、五角形の杭を打った地点を記入していって、その縮尺図をつくって面積計算をするっていう……

――それが部活なんですか! 

藤田部活です。

――じゃあ、実務に直結する部活なわけですね。

藤田そうですね。もともと、そっち方面に進もうと思っていたので。

――高校も普通科でなく、専門の学科?

藤田高校も農業科学科です。

――で、大卒後は?

藤田自衛隊に就職しました。

――あれ? 農業関係でなく?

藤田短大生の時に格闘技にはまってしまった結果、あんまりしっかり単位を取ってなくてギリギリで卒業するかたちになりまして、当時の先生に、公務員として自衛隊に入るのがいいんじゃないかって、紹介して頂いて(苦笑)。

――野球、卓球とやってきて、格闘技にはまっていったのはなぜですか?

藤田当時はK-1やPRIDEの全盛期で、観るのが好きだったので。それで、秋田で格闘技をやっている場所を探して、最初、正道会館(フルコンタクト空手の団体)に行ったら、その日はお休みで、その帰りに大道塾に寄ったら、なんだか面白そうで、それで始めたかんじです。

――正道会館はたまたまその日、やってなかった?

藤田はい。

――運命ですね。正道会館が休みの日じゃなかったら、そのままそちらに入っていたかもしれない?

藤田はい(笑)。

――特別、着衣の総合格闘技がいいな、とかはなく?

藤田えぇ、それで見にいったわけではなく、何回か通っているうちに、当時の「ゴング格闘技」をみて「あ! 載ってる!! これだ!!!」という感じで。

――体育の授業でも、柔道など武道・格闘技の経験はなかった?

藤田体育の授業では、柔道を少しだけ。それ以外は全然なかったです。

――では、大学に入ってからほぼゼロからのスタート?

藤田ゼロからです。

――で、短大の2年間、続けて何帯に?

藤田緑帯までです。

――その後、卒業後、すぐに自衛隊に入って、空道はお休み?

藤田最初の新隊員教育期間中だけ行かないようにして、その後は少しずつ、行けるようになりました。

――自衛隊といえば、日本拳法をベースとした「徒手格闘術」の活動が行われていると聞いたことがありますが、そちらへは?

藤田それも入隊して1年経ってから始めました。今はもう、普通に日本拳法とか、拳法って言ってます。

――自衛隊内でもそういう呼び方なんですね?

藤田はい。

――最初の1年は忙し過ぎる?

藤田いろいろ躾けられていて、とてもじゃないですけど外出とか出来る雰囲気ではなかったですね。

――でもその分、体力強化は自然と……。

藤田やってました。

――やるというか、やらされるというか……(笑)。

藤田(笑)

――体力はついた?

藤田はい。

――自衛隊での体力強化は、どんなトレーニング内容なんですか?

藤田「駆け足」が主で、長距離ランニングと補強、腕立て伏せをトータルで100回とか。それとインターバルトレーニング……1000メートル走を3本とか。そんな感じです。

――自衛隊内で行う日本拳法のルールや技術は、一般的な日本拳法のままなんですか?

藤田そうですね。

――協会系? 日本拳法会系とかでいうと?

藤田今は自衛隊独自の組織が出来たので、そっちに入ってますね。

――全国の自衛隊が日本拳法をやっている?

藤田いやぁ、他のところのことはよく分からないですね。

――自衛隊内での全国大会というのは?

藤田あります。全自衛隊の大会で、団体戦で冬にやるやつが60チーム以上、個人戦が5階級で、各階級100人前後は出るので、400人くらいは。

――鍛えぬいた自衛隊員がそれだけ集うとは、凄いですね。では入隊後、1年経って以降は、日本拳法と空道を並行して稽古して? 

藤田日本拳法の方は、4年やって、空道の東北予選に出場するようになった頃に一度辞めて、5年くらいやっていない期間があって、2年くらい前に復帰しました。

――今も現役自衛官?

藤田はい。

――33歳となった今年(2018年)、全日本選手権(-250クラス)決勝で、本戦でさんざんローキックを効かされながら延長で右ストレートで逆転して初優勝を果たしましたが、空道の全日本選手権、本戦に出られるようになったのはいつから?

藤田2010年無差別からですね。その時は緑帯、25歳で、1回戦負け。20歳で自衛隊に入ってから5年後ですね。翌2011年に無差別3回戦、田中俊輔さんに延長でKOで負けて、特別賞を頂きました。それから2012年以降は無差別はほとんど出ないで階級別に参加して、最初は-240で2012年かな? 茶帯で27歳くらいで我妻猛先輩に負けて、次が2013年、-240で2回戦かな? 内田淳一さんに負けて、その次が2014年、-250に上げて清水亮汰君のデビュー戦かな? 効果ポイントが1‐2で負けでした。

――その試合、藤田選手が効果を得たのは右ストレートですか?

藤田右ストレートですね。

――取られたのは?

藤田ハイキックで2つですね。

――なるほど。いかにも、日本拳法経験者vs空道ジュニアルール(フルコンタクト空手に近いルール)出身者、それぞれの特長の出た結果ですね。その後は…

藤田2015年は決勝で加藤智亮選手に延長でKO負けです。

――その試合も、右ストレートで効果を奪いながら、最後にレバーに膝蹴りをもらうというシーソーゲームでしたよね。日本拳法は、やはり、ストレートに特化した技術体系なのでしょうか?

藤田そうですね。日本拳法では、面も胴も、真っすぐに打たないと審判がポイントを取ってくれないので、前蹴りと、あれが出来ないと勝てないんです。あまりフックとかは打ちません。

右!

右!!

右!!!(いずれも2018全日本-250クラス決勝より)

――その技術の良さは?

藤田距離が長いのと、予備動作が少ないことだと思います。

――観戦者の立場でいえば、藤田選手の面白いところは、その真っすぐの攻撃の強さと、首相撲などでの脆さが混在しているところですよね。

藤田今は立ち組みの練習を強化しています。今までは練習の基盤となるものがなかったんですけど、吉祥寺支部から国枝厚志(2015全日本無差別ベスト8)君が秋田に転勤になって、秋田支部に来てくれたんで。

――吉祥寺支部の選手は、みんな首相撲に長けていますからね。

藤田助かります。

――それにしても、藤田選手の試合展開って、前半激しくやられていても後半で取り返すという、昔っぽい粘り強さがありますよね。

藤田「格闘空手」みたいな……

――そうです! スポ根マンガのような劇的な展開(笑)。なんででしょうね? 

藤田フィジカル面を自衛隊の体力トレーニングでやれる面と、午後の日本拳法の稽古に関しては、全般的に多く練習量を取れている、数をこなしている面がありますね。

――日本拳法って、スタミナは必要な要素なんですか?

藤田自衛隊のルールは1試合2分と短いんですけど、重い防具をつけることと、あまりマス的なことをやらず、打ち合うので、自然と体力もつきますね。

――日本拳法の稽古を何回か拝見したことがありますが、とにかく日々の稽古における乱捕(スパーリング)でも、思いっきり打ちますよね。

藤田ええ。自衛隊の稽古も、2分やって1分くらい休んでまた2分というのを10本くらいやります。

――一切、力は抜かない?

藤田力を抜いて行う稽古ももちろんあるんですけど、その稽古……試合教習が始まると、ほぼ力は抜かないですね。

――自衛隊内での稽古というのは課外活動としての位置づけなんですか? それとも本業務の一環として? 

藤田秋田県では日本拳法の活動に重きを置いて行う隊が立ち上がっていて、そこは本来の自衛隊業務をこなしながら、余った時間で練習してもいいよ、と。

――恵まれている?

藤田恵まれた環境だと思います。週5回、午前、午後と。

――午前、午後と稽古できる!

藤田そうですね。ただ、ある週は出来て、また次の週は、隊の本来業務が多くあって、まったく稽古しないとか、そういうかたちになります。

――どれくらいの週は稽古できるんですか?

藤田年間通して、半分くらいは出来ていると思います。

――午前・午後と?

藤田えぇ。

――それは素晴らしいですね。何時間くらいの稽古を?

藤田午前2時間30分、午後2時間くらいでしょうか。

――その稽古をこなしたうえで、大道塾秋田支部で稽古しているわけですよね?

藤田はい。

――じゃあ、一般的なプロ格闘家より練習量は多いくらいですね。

藤田 そうですね。練習時間は他の方に比べたら、多く頂いていると思います。日本拳法の練習時間が長いんで、どうしても技術がその試合ルールに寄ったものになりがちなんで、空道の試合ルールに適応できるよう、調整が上手く取れさえすれば、穴がなくかりさえすれば、もっと良くなるんじゃないかな、とは思っているんですけど。

――最近の日本のトップ選手は、少年期から空道に取り組んでいるせいか、打・投・極のすべてにソツがなく、相手に突進せず、距離を取って受け返しをするのが巧いトータルファイターが多いですけど、その分、海外のフィジカルの強い選手が突っ込んでくると、勢いに呑み込まれやすい面があると思います。あの勢いに対しては、実は、一周回って昔の“格闘空手”的な武骨なスタイルの方が対抗しうるのかな、と。

藤田やってみないと分からないですけど、ただ、確かに、今までにないスタイルなのかな、とは思います。噛み合うかどうかは分かりませんが。

――世界選手権に向けて、意気込みをお聞かせいただけますか。

藤田世界選手権が空道を始めてから15年のピークであり、最後の集大成になると思っているので、自分の実力を発揮することと、秋田支部の皆さんに一丸となってバックアップして頂いているので、感謝の気持ちを込めて、秋田支部のためにも優勝したいと思います。押忍!

――同じ階級の海外勢に対し、個別の対策は立てていますか?

藤田あまり正面でドーンとぶつからないよう、横の動きは出来るように練習しています。

――現在の生活リズムは?

藤田6:00起床、食事して、8:30から稽古して、12:00から昼食、午後1:30から体力トレーニングを行って……という感じです。

――全国にそれだけの鍛錬と日本拳法の稽古を積んでいる人が何百人といるわけですね。

藤田部隊によってどれくらい出来るか、頻度は違うとは思います。もっと恵まれているところも、試合前しか練習できないような全然恵まれていないところもあるか、と。

――そうやって練習した精鋭がひと階級、何百人で争う自衛隊内の日本拳法の大会は、ほとんど報道されませんが、レベルは必然的に高いでしょうね。

藤田高いと思います。

――大道塾秋田支部ではどれくらいの人数で稽古を?

藤田小松(洋之)支部長が北海道に滞在していますし、草薙(一司、2011全日本-230準優勝)さんが宮城県での勤務になったので、高野副支部長と国枝君と、その他の黒帯の方2人が幹部メンバーです。稽古は、多いと10人以上いますが、けっこうまちまちで、たまに一人のときもありますし。平均して4~5人だと思います。

――やっぱりまだまだそういう状況なんですね。

藤田えぇ(苦笑)。 

――民間運営と、国家的組織の地盤の違いを感じます(苦笑)。

藤田う~ん。どう喋っていいものか、なんとも言えないです(苦笑)。

――ただ、現状の環境はさておき、空道にはそれでも励むだけの魅力がある?

藤田空道は面白いんでやってますね。空道に活かすための下地として拳法を始められたのは、よかったと思います。

――日本拳法の大会には、今も継続的に出場している?

藤田はい。ただ、個人戦にはあまり出ないんですよね。団体戦で、だいたい東北で2位で、いつも山形のチームに負けてますね。

――山形の自衛隊は力を入れている?

藤田そうですね。

――一般のマスコミはもちろん、格闘技マスコミやWebでも、まったく伝えられていない情報ですね(苦笑)。

藤田そうですね。

――自衛隊の中では、どのような任務を?

藤田普通科です。よく皆さんが想像する、匍匐したりして銃を持っている……その感じです。

――災害の際は、救助活動などを?

藤田はい、参加しますね。

――東日本大震災の際は?

藤田あの時は、(岩手県)釜石市で活動して、要救助者の救出などを。

――津波が来たところへ赴いて、ガレキを撤去するような?

藤田はい。で、救助者を探して。

――災害地だと、もちろん、稽古どころではないでしょうけど、どんな生活なんですか? 

藤田テントを立てて寝袋で過ごす感じですね。

――例えば、世界選手権に向けて稽古を積んでいても、大会当日、どこかで災害が起こったら?

藤田そのまま会場からいなくなります。

――試合当日はあらかじめ、休暇を取ってるわけですよね? そんなことは関係なく?

藤田えぇ。呼集が掛かってしまえば。

――休みだろうと、連絡は取れる状態にしていないといけない?

藤田休みだろうと、そうですね。

――たとえ、世界選手権当日であろうと?

藤田そうですね。

――日々の稽古環境に関して「恵まれている」と申しましたけど、その分、そういう責任を負っているわけですよね。やっぱりたいへんだ! ……そんな緊張感のある日々の中で、息抜きとなるような趣味は?

藤田料理くらいですかね?

――料理! 意外ですね。

藤田実家は農家で忙しいんで、以前、昼食とか、家族がつくれない時期につくっていて、それから料理にハマりまして。

――どんな?

藤田いろんな煮物とか、ハンバーグ、スコッチエッグ……

――ス、スコッチ…! オシャレですね。

藤田(笑)。あとはチキンのトマト煮だとか。農作業の手伝いは、朝早くて好きじゃないので「じゃあ、代わりに家事をやる」と言ったのが始まりです。

――ご結婚は?

藤田してないです。

――じゃぁ、今は自衛隊の宿舎に一人住まい?

藤田そうです。

――世界選手権後のプランは?

藤田そうですね。「世界選手権まではやらせてください」という感じでお願いして、なんとか業務の間を縫って、当日を迎えますので……。「この日は試合に…」というのがなかなか厳しい面もありますので、日本拳法は引き続き、試合には出られるかと思うのですが、空道では指導が中心になるかもしれません。まだ茶帯なんですけど(苦笑)。

――なぜ、キャリアが15年以上ある全日本王者で、まだ茶帯なんですか?

藤田業務や日本拳法の大会と重なったりで、なかなか受験するチャンスがなくてですね。合宿等も参加できませんし。

――昇段審査受験資格として「一泊二日のサマーキャンプに2年以上、参加していること」という項目がありますが、それを満たすのが難しい?

藤田そうですね。あの時期(夏)にそういった予定を入れるのは難しいですね(苦笑)。

忙しい合間に上京しての世界選手権日本代表強化練習参加、さらにその練習の合間に、インタビューに応じてもらった。